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吉野地区公民館周辺情報

最終更新日:2018年4月23日

このコーナーでは、この地域に伝わる歴史的な遺産、自然や祭り、まちづくりの今の様子などをご紹介します。

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(注意)文化財については大牟田市教育委員会発行の「ふるさと発見シリーズ4・稲荷山の文化財」を参考にしています。

 

稲荷山

当公民館北東に位置する稲荷山は、標高180.7メートルの東西に長い独立丘のような山です。古くは旧石器時代(今から1万年以上前)の握槌が巡礼渕堤付近で出土し、縄文時代早期(8000年前)から晩期(2300年前)の土器が上内各地の遺跡から出土しています。古墳時代(1700〜1400年前)には数多くの古墳が稲荷山に築かれ、甘木山とともに大牟田における古墳の集中地となっています。 

 

慧日寺本堂

所在 大牟田市大字岩本2589の1
慧日寺は、宝永3年(1706年)柳河藩主立花氏が菩提寺の福巌寺住職のため当地に建立したもので、本堂は寺蔵の棟礼から宝永5年に創建、延享2年(1745年)、天保10年(1839年)に改築されています。現存する本堂は天保10年のもので、江戸時代、中国より伝わった黄檗宗の中国建築文化が当地に伝播したことを示す重要な遺構です。またこのような本格的な土間式の仏殿は南筑後には他に存在せず、大変貴重なものです。 

 

岡天満宮祭礼行事

所在 大牟田市大字坂井
市指定 昭和50年3月18日(無形民俗文化財)
大牟田市大字上内の岡天満宮に伝わる“ぜんでことひゅうたんまわし”は、現在氏神の御日と称して毎年9月25日の小祭に地元岡・坂井の両地区の氏子によって奉納されています。以前は旧暦8月25日に行われていました。当行事の起源については記録が無いため判然としませんが、各地に伝わる、収穫前の予祝的祭りとして今に伝えられているものと思われます。

 

鍛冶屋遺跡

所在 大牟田市大字上内字鍛冶屋
平成3年の調査で、平安時代から鎌倉時代にかけての土器片や石鍋、鞴(ふいご)の羽口・鉄滓・湯玉など、製鉄つまり鍛冶に関係する遺物が多量に出土しました。特に鉄滓や焼土が多く出土する地点を集中して調査すると鍛冶に使用したであろう炉跡(1号炉跡)を見つけることができました。ちょうど炉の底の部分が残っており、椀型に鉄分が残っているのが判明しています。鍛冶(製鉄)は特殊な技術であったため、炉等は使用済になると技術の外部流出を恐れて完全に破壊されることが多く、このような形で残っているのは大変珍しいことです。
この遺跡の時代は、有名な刀工、三池天太光世が活躍した時代でもあり、大変興味深いものです。

 

石鍋

中世、西日本でよく使用された滑石製の鍋。当時大変高価であり、何度も補修して使用された。産地が限られており、九州では長崎のホゲット遺跡のものが有名だが、上内の湯谷でも滑石が出土し、石鍋が製作されている。

 

鞴の羽口

炉に空気を送り込む装置である鞴の一部で、炉本体に挿入される部分。遺跡から出土するものは小さな土管状のもので、先端は大変な高熱を受けた痕跡を有する。

 

湯玉

炉で真っ赤に熱せられた鉄を槌打ちしたとき、高温で溶けた状態になっている場合、飛び散ったものは表面張力で球状となる。これがそのまま冷えて固まったものを湯玉あるいは球状鉄滓とよぶ。

 

高頭遺跡

所在 大牟田市大字上内字高頭
鍛冶屋遺跡と同様に、ほ場整備に先立つ調査で発見された遺跡で、“ぜんでことひゅうたんまわし”で知られる岡天満宮の西側の水田で発見されました。調査は昭和63年11月から翌年の10月まで行われ、古墳時代後期の住居跡が10軒、うち2軒からはカマド跡が検出されました。また、他よりやや大きい6号住居跡からは、ネックレスに使うガラス玉が出土しました。
このほか、縄文時代各期にまたがる土器、古墳時代初頭の住居跡とそれに伴う土器(古式土師器)、中世の居館に伴う環濠などが見つかっており、高頭遺跡が長期間にわたり人々の生活の場であったことがうかがわれます。
数千年におよぶ遺跡ですが、現在は、ほ場整備の地下げにより完全に消滅し、調査以前の風景をまったくとどめていません。

 

上寺嶋遺跡

所在 大牟田市大字上内字上寺嶋
上寺嶋遺跡も高頭遺跡と同じ調査で発見されました。県道南関田隈線の南側、高頭遺跡とは白銀川をはさんで西側にあり、標高は21メートル程で、旧状は南の白銀川へ傾斜する水田でした。
調査の結果、多数の柱の跡(柱穴)がみつかり、掘立柱の建物跡も11棟検出されました。出土した遺物からこれらの建物は平安時代後期のものと思われ、また、溝も3条検出されましたが、その方向などから建物跡と同時期のものと推定されています。
大牟田市史によると、寺嶋は上内八幡宮の社僧の住居であったとされ、当遺跡との関連が考えられます。
このほか、当遺跡からは、古墳時代の住居跡が見つかっており、天満宮で行われる“うそかえ”の“うそ”のような鳥形の土製品も出土しています。

 

古城山古墳

所在 大牟田市大字宮崎字上亀崎
古城山古墳は大字宮崎字上亀崎の古城山の山頂(標高53メートル)にありましたが、現在は土取りにより全く残っていません。調査は昭和46年工事に先立って行われ、直径約23メートル、高さ6メートル余りの円墳であることが判明し、中央の土壙から組合せ式の家形石棺が出土しました。蓋石は1枚の凝灰岩でつくられ、いわゆる寄棟造りになっており、両妻側に縄掛け突起が付いています。棺身は両側縁が長く、4枚石で構成され、凝灰岩製です。棺床には貝殻が敷かれ、鹿角製の装飾品や管玉、ガラス玉、勾玉などが出土しました。当古墳の築造年代は、出土遺物や家形石棺の形により5世紀後半頃と推定されています。谷をはさんで北東側には、6世紀前半のものと思われる“石亀城古墳”や、西側には“おいどん山古墳”があります。

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