◆2017年 7月1日号 <No.1200>  
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  市史だより その十二  

三井財閥の歴史―三池炭鉱史によせて(第2回)

追手門学院大学名誉教授 畠山秀樹(市史編さん委員長)

 2.政商時代と三池炭鉱
 政商とは「政府や政治家と特殊な関係をもって、利権を得ている商人」(「広辞苑」)のことです。言うまでもなく、政治家や一部の高級官僚も利権の見返りとして献金等で潤います。これは昔も今も変わりありません。ただし、昔はこの関係は政商と政治家ともに個人の関係でした。やがて、のちに政党、財界団体、株式会社の段階になると近代的関係に移り、組織としても利権を通じて結び付くようになりました。
 さて、三井家は江戸期三大豪商とうたわれましたが、幕末には財産の多くを喪失し、そこに幕府の巨額の御用金が課されて経営は危機的状況でした。この窮地を救ったのが三野村利左衛門でした。
 三野村は、巧みな交渉によって御用金を大きく軽減してもらいました。さらに明治政府の下でも、井上馨らと結んで政府御用を次々と入手して資本蓄積を進め、1876年悲願の三井銀行設立に成功しました。この年は三井にとって画期となりました。というのは、同年三井物産を設立し、伊藤博文の協力で官営三池炭鉱の一手販売権を獲得したからです。三井物産は、専制政府の手厚い政商保護育成政策の下、三池炭輸出に取り組み、英国炭、豪州炭を圧倒して東アジア石炭市場で瞬く間に優位を築き、三池炭鉱は三井と藩閥政府の「ドル箱」と呼ばれるようになりました。
 他の政商の事例では、三菱には多数の官有蒸気船を、また住友には別子銅山のために囚人労働使役の特権を与えたことが、よく知られています。
 ところで、1888年政府は超優良経営の三池炭鉱の払い下げを決定しました。払い下げ条件は厳しかったのですが、三井物産の益田孝は三井銀行から100万円の融資の約束を取り付け、巧妙に落札しました。三井財閥の成立過程を資本蓄積様式からみると、政商資本から産業資本、そして財閥資本に段階的に発展しましたが、三池炭鉱の払い下げは政商資本から産業資本に移行する跳躍台となりました。

昔の三井銀行本店の画像
昔の三井銀行本店
(三井銀行八十年史より)

 

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