石炭産業がさかんになると働く人やその家族が増えて、大牟田の人口が増えていきます。ところが、石炭から石油へ燃料の需要が移り変わったことにより、石炭産業によって支えられていた人々が減っていったそうです。
こうして、大牟田市の炭鉱の姿はなくなりましたが、炭鉱とともにつくられた工場のいくつかは今でも残っています。また、炭鉱関連施設が世界文化遺産になり大牟田の宝物となりました。
回答2:昔は船員が多かったので食事や買い物に利用する船員で三池港のまわりがにぎわっていたが、今は船員が少なくにぎわわなくなってしまった。クルーズ船などが入ってくればにぎわうかもしれないが、あれほど大きな船は入らない。
最後に代表児童がお礼の言葉を述べました。
今回の授業で、大牟田が「炭鉱が残した歴史と世界文化遺産を誇るまち」だということの認識がさらに深まりました。これからも大牟田のまちをみんなで守っていきましょう。