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黒崎探検ウォークの報告

最終更新日:2012年10月23日

平成24年10月8日(月曜日・祝日)、平成24年度文化財巡り事業の一環として、「黒崎探検ウォーク」と題したウォーキングを開催しました。
 当日は、青空が広がり心地よい秋風吹く絶好のウォーキング日和。参加者26名の皆さんと、黒崎地区とみやま市に所在する文化財を訪ね歩きました。

黒崎観世音塚古墳

大牟田市教育委員会が調査したところ、全長97メートル、後円部径68メートル、高さ10メートルの前方後円墳であることが確認されました。古墳の主軸は東西に取られ、前方部はほぼ西向きにつくられています。
また、出土した埴輪から4世紀末の築造と考えられ、この時期では有明海沿岸部で最大の前方後円墳となっています。
古墳はところどころにしか木漏れ日が差さないくらい木々に覆われています。また、地面にはたくさんのしいの実が落ちていました。

皆さん、解説を聞きながら写真を撮ったり熱心にメモを取ったりされていました。
墳丘は本来の山の上に、所によっては5メートルにも及ぶ盛り土を行って形作られました。
また、墳頂部からは末法思想の広がりを示す三基の経塚が発見されました。時期としては12世紀あたりのものです。

黒崎展望所

人口島・初島について等の解説をしました。

展望台から西側の風景です。

玉垂神社の大樟

黒崎山の西側に鎮座する玉垂神社の山門の右脇にあるクスノキは樹齢300年以上と推定される本市最大の巨木です。
幹の回りは4メートル余り、樹の高さは27メートルあり、1969年に大牟田市の天然記念物に指定されました。

矩手(かねんて)水門

黒崎山を下りて、黄金色に広がる田畑の中を30分ほど歩くと矩手(かねんて)水門に着きました。
有明海沿岸地域では古代より干拓による陸地化がすすめられ、江戸時代元禄期からは規模の大きい本格的な干拓工事が行われました。その最初はみやま市高田町黒崎開の一帯です。
有明海への排水のために「三十丁井樋」が2箇所に設けられましたが、暴風高潮にも耐えうる堅牢な水門を建造することとなり、これらを1箇所にまとめ、1899年(明治32年)この矩手水門(かねんて)水門が完成しました。現在は門の外側には昭和開(干拓地)が広がっており、また水門は自動で開閉します。

右写真は矩手(かねんて)水門の上部です。

伊藤大将顕彰碑

矩手水門から大牟田方面へと金助坂に向かう道の脇道に入ると、「伊藤整一中将生誕の地」(みやま市高田町)の碑があります。
伊藤中将(死後、大将に特進)は1890年に現在のみやま市高田町で生まれ、旧制伝習館中学(現伝習館高校)から海軍兵学校にすすみ1911年に卒業しました。

隈川に架かる橋を渡り、住宅の間の小道に入ると墓と「伊藤整一大将顕彰碑」があります。
伊藤整一海軍中将(死後、大将に特進)は、第二次世界大戦末期、第2艦隊司令長官着任後、「天一号作戦」の命令を受け、戦艦大和に乗艦しました。そして1945(昭和20)年4月6日に出撃、翌7日鹿児島県坊ノ岬沖90海里において戦死しました。
顕彰碑の碑文は高橋三吉(元海軍大将)が書いています。
                                            

今後も大牟田市の歴史や文化財に触れ、楽しく学べるイベントを行っていく予定です。
ぜひご参加ください!!

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