校区の干拓地がどのように造成されたか、先人たちの苦労と想いを学びました!
手鎌小学校は、大牟田の北西部に位置する学校で、西は三池干拓・有明海を擁します。
9月9日(金)、手鎌小学校4年生が「郷土の伝統を調べよう」の取組の一環で、校区の干拓地について学習しました。講師は「手鎌歴史と里山の会」の方々で、干拓がどのように造られたのかという手鎌校区の干拓の歴史をお手製の立体地図パネルを使って教えていただきました。
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「手鎌歴史と里山の会」から、奥薗たかしさん、藤吉さん、奥園さん、坂本さん、白仁さんに来ていただきました。 | 平安時代末期までの陸地と海の境目の様子が、お手製の立体地図パネルでよく分かりました。 |
子どもたちは、資料「大牟田北部(手鎌地域)干拓1000年の歴史を望む」をもとに時代を追いながら、干拓された場所をパネル操作することで、先人たちの苦労により干拓という大事業が少しずつ進められ、今に至ったことを学びました。
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高橋紹運の子どもで柳川のお殿様だった立花宗茂は、戦死した家来の家族が困らないよう、干拓した土地は自分の土地になるという「給人(きゅうにん)干拓」工事をさせました。 | 江戸時代末期は、海側に石を積み上げ、陸地側に泥を積み上げるという石積堤防が造られるようになりました。ここ「塩浜開」では、海水から塩がつくられていたそうです。 | 時代や出来事ごとに、子どもが順に資料を読み、「手鎌歴史と里山の会」の方に具体的にスライドを使って説明してもらい、その後、干拓された部分にパネルをはめ込むという一連の流れがとても分かりやすかったです。 |
最後に、長く「手鎌歴史と里山の会」に携われている奥薗さんが、「昔の人々は、何とか土地を広げて、おいしいお米をみんなに食べさせ、安心して暮らしていきたいという想いが強かった。みなさんも、この歴史を忘れず、これからの未来を元気に生きてほしい。」と話を結ばれました。これから子どもたちは手鎌地域の郷土の伝統について学習を進め、持続可能な社会を目指して自分に何ができるか考えます。