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大牟田のあゆみ(古代~江戸時代)

最終更新日:2008年9月1日

古代

  • 景行天皇高田行宮にこられた時、歴木の巨木があったのにちなみ「御木の国」と言われるようになった(「日本書記」より)

平安朝時代(794年〜1192年)

  • 9世紀初期、三毛中納言源師親が普光寺を建立したと伝えられる
  • 10世紀初期、三毛師方が宮原天満宮を建立したと伝えられる

鎌倉時代(1192年〜1333年)

  • 12世紀末、今山岳の活動により三つの池出現、三池と言われるようになったと伝えられる

室町時代(1338年〜1573年)

文明元年(1469年)

  • 伝治左衛門という農民が山中でたき火中、燃える石(石炭)を発見

天正15年(1587年)

  • 豊臣秀吉より高橋直次に三池郡内1万8千石を賜る

慶長5年(1600年)

  • 高橋直次は三池郡領地を没収される

江戸時代(1603年〜1867年)

元和7年(1621年)

  • 立花種次三池郡1万石を所領する

寛文4年(1664年)

  • 平塚喜右衛門が早鐘山の谷に堤を築く

延宝2年(1674年)

  • 三池藩が大牟田川に眼鏡橋をかける

享保6年(1721年)

  • 柳河藩家老小野春信、平野鷹取山の地を賜り享保6年11月ここで石炭の採掘を始める

寛政2年(1790年)

  • 三池藩が石山法度を布告

寛政4年(1792年)

  • 温泉岳(雲仙岳)爆発

享和3年(1803年)

  • 立花内膳、吉ケ谷の大堤を築く

文化3年(1806年)

  • 立花氏下手渡(現福島県月舘町)に領地を移される

文化8年(1811年)

  • 伊能忠敬一行三池郡地方を測量

嘉永4年(1851年)

  • 立花氏に三池郡の領地5千石がもどされる

嘉永6年(1853年)

  • 三池藩で生山を開坑

安政4年(1857年)

  • 生山、平野山両坑の境界争いはじまる、明治5年に再度争い起こり三潴郡中止を命じる
  • 大浦坑開坑、大正15年閉鎖

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