<アメリカ合衆国出身 40代 Iターン 幼稚園 英語教員>
以前は米国政府関連の仕事をしていましたが、2001年9月11日の同時多発テロを機に人生について考え出しました。
妻と共に、大牟田のこどもたちの未来のため頑張っています。
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※インタビューで掲載している情報は、取材当時のものです。
掲載の制度や施設、サービス等は、変更になっている可能性があります。予めご了承ください。
※ このインタビューは、同時通訳の方のご協力の下作成しています。
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Q.最初に日本に来られたのはいつですか?
最初に日本を訪れたのは2001年の夏でした。
妻がNissan USAで働いていた時に3週間の日本への出張があり、私はそれをきっかけに日本へ観光に行きました。
東京に滞在し、浅草寺や鎌倉など歴史的建造物を見に行ったりして、本当にいい国だと感じました。
Q.日本で働くきっかけは
2001年9月11日の同時多発テロをきっかけに自分の人生を真剣に考えました。
その日、私はワシントンD.C.にいましたが、まさに私がいる2~3km先でテロが起きました。
国防省のペンタゴンに、飛行機が突っ込んでいく風景を今でも鮮明に覚えています。非常にショックでした。
当時は政府関連の仕事をしていましたが、そのテロが起きてからは「自分はこのままでいいのか?」と自問自答する日々を送りました。
それから時が過ぎ、2005年にたまたま日本でJETプログラム(※)が実施されるということで、興味本位で参加することにしました。
※JETプログラム…語学指導等を行う外国青年を招致して地方自治体等で任用し、外国語教育の充実と地域の国際交流の推進を図るもの。
Q.現在働く幼稚園を選んだきっかけは
最初に任用された学校は、福岡市の県立進学高校でした。
とても優秀な生徒ばかりで、中には、帰国子女も何人かいて、英語力が圧倒的に優っていました。その際に、吸収力の高い幼少期に充実した英語教育があれば、より実践的な英語力が付くと確信し、そこから幼少期の英語教育に興味を持ちました。
その後、知人に紹介してもらい、「大牟田たちばな幼稚園」で働くことにしました。
Q.職場を決めて移住されましたが、大牟田の印象はいかがですか?
私が大牟田に住み始めてとても感動したことは、周りの人が助け合う文化があることです。
以前、水道管が凍ってしまって時も、近所の人が助けに来てくれました。私たちが外国人だからなのかな?と思いましたが、決してそういうわけではありませんでした。
熊本地震の際も、周りが一致団結して助け合っており、誰にでも平等に親切にできることは本当に素晴らしいことだと実感しました。
合気道はまだまだ知られていないことが多く、日本人も詳しい人が多いわけではありません。まだ世の中には公表されていない合気道の歴史があるので、時間がある時に大正時代まで遡って文献などを読み漁っています。
そして、それを世界中の合気道ファンに専門サイトを通じて発信しています。
私にとって、合気道はライフテーマとなっていますね。妻も歴史が好きで、大牟田は昭和のような古い建物があり、その雰囲気に惹かれています。まさに、タイムカプセルのような世界だと感じています。