<大牟田市出身 40代 Uターン デザイン会社経営>
2001年、アートディレクターである夫と共に起業。2004年からは福岡市で活動し、2017年に地元である大牟田に移住・拠点を移しました。
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※インタビューで掲載している情報は、取材当時のものです。
掲載の制度や施設、サービス等は、変更になっている可能性があります。予めご了承ください。
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Q.現在どのようなお仕事をされていますか?
コミュニケーションを専門領域として、グラフィックデザインの仕事を中心に、「THIS DESIGN」(ディス デザイン)という会社を経営しています。
ロゴ、パッケージ制作、企業のブランディングに関するデザインが主な仕事です。
また自主事業として2013年から「食」に関するテーマで、食べることを考える「PERMANENTパーマネント」という小冊子を発行し、それにまつわる食のイベントなども開催しています。
Q.なぜ「食」をテーマにしようと思ったんですか?
2011年3月11日に東日本大震災が起こりましたが、この出来事は私たちの価値観を大きく変えるきっかけとなりました。
一つは、自分たちが色々なことに無知だと気づかされたこと。
情報を扱う仕事に携わるものとして、情報の扱い方について考えました。
当時はSNSが流行りだしたばかりで、テレビや新聞だけでなく情報が錯乱していたと思います。
受け手がいろんな情報に振り回されていることに憤りを感じました。
自分たちだったらどう情報発信するのか、ということを考えて出した答えが「つくる、たべる、かんがえる PERMANENT」です。
答えや正解を書くのではなく、良質な問いを投げかける、読者も共に考えるきっかけになればと思って発行しています。
食をテーマにした理由は、自分たちが一番興味があったからということもありますが、衣食住の中で、人が生きる上で最も根源的な営みのひとつだと思ったからです。
Q.多くの選択肢があった中で、なぜ大牟田へ移住されたんですか?
PERMANENTを始めた頃は、自分でも小さな畑を作ってみたいと思っていたので、当初は、うきは市や佐賀県三瀬村など色々な地域を探していました。
5~6年くらいは物件を探していましたが、どこも決め手にならず。
探しても探してもしっくりくる場所がなく、別に日本にこだわる必要ないんじゃないか。海外でもいいんじゃないかって思った時期がありました。
そんな時に、主人から「自分たちのルーツにないから決め手にならないんじゃないか」。
また「ワークショップで伝えているのは、マンションでもできる季節の仕込みものなのに、自分たちが田舎に行ってしまうのは、田舎に行くことが正解のようにならないか」と投げかけられました。
それから視点を変えて場所を探すようになりました。
大牟田に決めたのは、わたしの実家のビルが数年空き店舗になっていたからということもありますが、一番は、この場所のアクセスの良さでした。
イベント等を通してたくさんの人に来てもらいたいと考えていたので、西鉄、JR、九州自動車道、有明海沿岸道路があるこの場所であれば、私たちも外に出て行きやすい。ひいては人も来やすい場所になるのではと考えました。
実際に、福岡市や熊本市、佐賀方面からもたくさん来ていただいています。自分たちのやりたいこととやれることを実現できる場所が大牟田のこの場所だったわけです。
前述の通りアクセスの良さは抜群です。これは炭鉱の町として栄えた恩恵だと私は思っていますが、主人は「人が優しい」とも言います。
やんちゃそうに見える人でもコンビニなどでドアを開けて待っててくれたりするそうです。
炭鉱で、さまざまな人が流動してきた町だからなのか、商店街だから新規の人を受け入れる体制があるのか、程よい距離で、お互いに助け合う精神が醸成されているのかもしれませんね。
これから新たに大牟田で起業を考えている方にメッセージするならば、周りも応援してくれる環境があると思います。そういう人たちが点在することで、大牟田がより魅力的なまちになると楽しいですね。
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