<大牟田市出身 30代 Uターン コミュニティFM放送スタッフ>
こどもの頃から夢だったラジオのスタッフとして活動しています。少しずつ地域に恩返ししていけるよう頑張ります。
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※インタビューで掲載している情報は、取材当時のものです。
掲載の制度や施設、サービス等は、変更になっている可能性があります。予めご了承ください。
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Q.大牟田に戻る前は何をされていましたか
23歳の時に埼玉に移り、東京の演劇養成所に通っていました。
毎日、役者になるための勉強と稽古をして舞台に出るような日々でした。
養成所を卒業してからは、友人と一緒に、動画撮影や録音してコンテンツ化して、それをネット配信していたので、常に自分を表現したいという風に考えていましたね。
Q.役者になる夢をお持ちだったんですね
演劇をしてみたいと漠然と思い始めたのは中学2年生の時でした。
実を言うと、僕は昔からラジオが好きで、いつかパーソナリティーの仕事をしたいと夢を見ていたんです。
どうすればなれるかな?と考えた時に、役者になって有名になればラジオに出られると思ったんです。
僕の中ではラジオで話している人って芸能人とか役者さんが多いイメージだったので、まずは演劇を極めることがラジオに出るための最短ルートだと思い演劇の道を選びました。
結局、10年くらい関東で活動して、その間にラジオ局への就職活動もしたんですが、現実はかなり厳しかったですね。
いつかは大牟田に帰ろうと思っていたので、踏ん切りがついたところで戻ることを決意しました。
Q.FMたんとのスタッフになったきっかけは
大牟田に戻る決意をした時は、何も決まっていませんでしたが、1年位経った時に、たまたまFMたんとの事業の立ち上げをすることを聞き、心の底から嬉しかったことを覚えています。
僕の中では、ラジオに関するお仕事の夢は諦めかけていた時だったので、「これは最後のチャンスだ!」だと思い、面接を受け、無事に採用されることとなりました。
立ち上げの段階から携わり、研修などをしっかり受けることができました。
この時代に、新しくラジオ事業を始めるというのは全国的にかなり珍しいので、人生は何が起きるかわからないと身をもって実感しました。本当に運が良かったとしか言いようがありません。
埼玉に約10年間住んでいて思うことは、大牟田は何より住みやすいということです。
地元にずっと住んでいると「大牟田には何もない」という人もいますが、改めて考えてみると、僕には何がないかわからないんですよね。
電車、道路、商業、観光、自然、教育とどの分野をとってみても足りないと感じることはなく、「ちょうどいい」まちだなと感じています。
アクセス面が充実しているので、仮にないものがあっても市外に求めればすぐに手に入れることができるのは、大牟田の魅力のひとつですね。
都会で住むこと=便利というわけではなく、郊外でもこんなに心豊かに住むことができる。僕はそれをいま、実感しています。FMたんとを通して、地域の魅力を発信していますので、ぜひ聴いてみてくださいね!