先祖が大牟田に移住した歴史に思いを馳せて
大牟田市と鹿児島県の与論島には、明治時代の1898年の台風によって大きな被害を受けた与論島の人たちがその後、大牟田市に集団移住し、炭鉱労働に従事されたという結びつきがあります。
5月22日(水)、与論島の与論中学校2年生約50名が、宅峰中学校の校区内にある与論島の出身者を追悼する納骨堂、與州奥都城(よしゅうおくつき)を訪れ、大牟田・荒尾地区与論会の方々と一緒に2、3年生の代表14名と交流を行いました。
交流会では、はじめに大牟田・荒尾地区与論会の朝岡会長から歓迎の言葉と與州奥都城についての説明があり、その後、与論中の生徒からの代表挨拶、来賓を代表して大牟田市教育委員会の谷本教育長が歓迎の挨拶を行いました。
与論中学校の生徒が会場に入る様子
参加した宅峰中学校の生徒
与論中学校 生徒代表の挨拶
谷本教育長の挨拶
宅峰中学校の生徒は、大牟田市の紹介やクイズ等を行い、歓迎の気持ちを表しました。そして、移住の歴史を歌詞にした歌「黒いダイヤの涙」を三線とギターの演奏に合わせて合唱しました。「先祖の方々のおかげで自分たちがいる。先祖の方々のようにくじけず、力強く生きていきたい。」という与論中の生徒、「大牟田が炭鉱のまちとして知られているのは与論の人たちの苦労のおかげでもあると思う」という宅峰中の生徒の思いが一つに重なり、この奥都城で眠る方々への感謝の気持ちが自然とあふれました。
宅峰中学校からの挨拶
手作りのプレゼントをお互いに交換する様子
「黒いダイヤの涙」の合唱
ジャー坊からコメント
大牟田市からのプレゼント(トートバッグや色鉛筆など)がジャー坊から与論中の皆さんに渡され、最後に生徒同士が楽しく話をするなど、交流を深めることができました。