木造慈覚大師坐像(もくぞうじかくたいしざぞう) [県指定有形文化財(彫刻)]
指定年月日:昭和38(1963)年1月16日
所 在 地:大牟田市大字今山2538番地(普光寺境内)
構 造:檜材 寄木造り(ひのきざい よせぎづくり)
高 さ:51.3cm
建 造 年 代:室町時代初期
慈覚大師とは
”慈覚大師”は「円仁」という呼び方の方がご存じの方が多いかもしれません。円仁は平安時代初期の僧で、天台宗を日本に広めた最澄の弟子に当たる人物です。唐に留学して修行を積み、帰国後は3代天台座主として国内の多くの天台宗寺院の開山・再興に関わったとされています。円仁は天台宗山門派の祖としても知られ、彼の弟子達が5代天台座主・円珍らと法典の解釈を巡って対立した話(註)は有名です。
なお、本像が所蔵されている普光寺は円仁の開山とされており、円仁が信仰の対象となっていた当時の様子がうかがえます。
(註)円仁の弟子達は、円珍派の僧達を総本山であった比叡山から追い出し「山門派」と呼ばれるようになり、円珍らは滋賀県大津市にある園城寺を本拠地とするようになったため「寺門派」と呼ばれる。僧達は武装化し、貴族も巻き込んだ大きな対立となった。
ココに注目!!
本像は檜の寄木造り(パーツごとに作り、組み合わせる方法)で複雑な構造をしており、目にはガラスがはめ込まれています。
昭和38(1963)年の解体修理の際に、解体した頭部内側から製作当時の情報が墨書きで発見されました。その記述内容には修理の回数や像を奉納した人物、製作者や製作の背景まで多くの貴重な情報が記されていました。加えて、像が正長2(1429)年に完成したことも墨書から判明しているため、当時の三池地方の状況を知る上でも、さらに九州地域の天台宗の歴史の上でも貴重な文化財です。
参考文献:大牟田市教育委員会1986『大牟田市の文化財』