不動明王板碑(ふどうみょうおういたび)[県指定有形文化財(彫刻)]
指定年月日:昭和33(1958)年10月29日
所 在 地:大牟田市大字今山2538番地(普光寺境内)
構 造:凝灰岩自然石加工(ぎょうかいせきいぜんせきかこう)
年 代:南北朝時代中期
残 存 部:全高70.5cm、幅62cm、厚さ14.5cm
不動明王とは
不動明王は密教の最高位の仏である大日如来の化身とされ、五大明王の中でも特に上位とされた仏です。仏道の妨げとなる悪や煩悩を断ちきるために、憤怒の形相をしているとされています。不動明王は仏の中でも特に人々に現世利益を与えるとされていることもあり、密教を筆頭に多くの人々の信仰を集め、昔から多くの仏像が造られてきました。
ココに注目!!
大きな自然石をわずかに加工して将棋の駒の形と似た五角形とし、光背を示すように中央を窪ませ、中へ不動明王を厚く浮き彫りにしています。
現在では頂部の約三分の一を欠損し、頭部以上を失っていますが、板碑の左側面に楷書体の銘文で「大願主 藤原助継」の文字が刻まれており、この銘文により仏像の作者が分かります。
藤原助継は、南北朝時代の大牟田地域の石工として多くの石造物を残しています。当時は南朝と北朝と呼ばれる二つの朝廷が立ち、両者に味方する日本各地の勢力同士が激しく争っていました。各地の豪族など有力者層は、自身がどちらの朝廷に味方するかを表明するため、北朝に味方するならば「北朝が使用している年号(北朝年号)」を、南朝に味方するならば「南朝が使用している年号(南朝年号)」を、自身が発注する仏像などに刻ませたと考えられています。
藤原助継が造った大牟田市周辺の石造物を見ると、北朝の年号も南朝の年号もあり、様々な立場の願主から制作依頼があったことがうかがえます。
なお、この板碑の制作年は欠損した部分に刻まれていたと考えられ不明です。
附 梵字阿弥陀三尊板碑(つけたり[註] ぼんじあみださんぞんいたび)
構 造:輝石安山岩の板状自然石
建 造 年 代:天正5(1577年)年
残 存 部:現高71.3cm、最大幅49.5cm
附 梵字阿弥陀三尊板碑とは
別名「一乗経供養板碑」とも呼ばれ、板碑の中央に阿弥陀を含む三人の仏を表す種子(梵字のこと)を刻みこんでいる(当板碑は一部欠損)ことからこのような名称が付けられています。なおその下には、天正5(1577)年に当時の住職であったと思われる豪澄という人物が、一乗経を千部完成させ供養したことが刻まれ、その時の記念碑と思われます。一乗経は法華経のことであり、天台宗の根本理念が一乗思想と呼ばれるためこの別名がついています。
[註]「附(つけたり)」:文化財を指定する際に、その関連となる文化財や資料を合わせて指定すること
参考文献:大牟田市教育委員会1986『大牟田市の文化財』